実子に恵まれなかった秀吉は秀頼誕生前に養子の一人である秀次を後継者と定め1591年(天正19年)に秀次が関白に就任していた。
秀吉は太閤となるも朝鮮出兵を全国の諸大名に告げるなど、実質的な権力を握り続けていた。
そんな中、1593年(文禄2年)、秀吉が57歳の時に織田信長の姪である淀君(茶々)との間に授かった目に入れても痛くない待望の嫡男で豊臣家と織田家を深く結びつける存在となった。
(あまりにも晩年の子であったため、本当の父は秀吉ではなく石田三成だったのではないかなどとゴシップ的な諸説も存在する。)
秀吉も淀君も、どうしても実子である豊臣秀頼に天下人になって欲しいと考えるように…
そこで生後2ヵ月の秀頼と秀次の娘を婚約させて秀次の後を継がせようと画策するが、1595年(文禄4年)、秀次が秀吉への謀叛の罪で切腹を命じられた事件が全国を震撼させた。
というのも謀叛の罪であるなら通常は切腹ではなく斬首という処分になるため何らかの意図が働いた結果と考えられる。
さらに当の本人が切腹して果てたにもかかわらず、その正室や側室、幼子にいたるまで公開処刑されたということ。
これは秀吉が後顧の憂いを断つために行なったことだと考えられている。
血生臭いこの出来事は幼い秀頼に罪はないものの、後に災いとなり秀頼を孤立させ豊臣家は滅亡の道を進んでいくことになる。
大坂夏の陣で秀頼母子は天守閣に登って自害しようとするも、速水甲斐の諫めに従い、秀頼母子は山里丸に逃れて戦火を避けていた。
しかし山里丸への総攻撃が行われ、秀頼は淀君や大野治長らと共に自害して果てたと伝えられている。
本作ではその出生から設定が大幅に変更されており、かなり独自色の強いキャラクターとなっている。
使用する武器は二刀、「一期一振・鯰尾藤四郎」。
これは太刀としては短めの一期一振と脇差、鯰尾藤四郎を二刀として設定されたもの。
刀と二刀を切り替えているように見えるが単に脇差を納刀して刀として扱っているだけで他のキャラクターのように刀と二刀を別々に装備しているわけではない。
下記表のミッション名の後に(○)があるものは対戦動画が該当ミッションページに掲載されている。
種類 | 出現場所 | 固有ドロップ | 弱点 | 耐性 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
人間(前半) 鬼化(後半) | 最後の侍(○) 業の果て | 製法書:「一期一振・鯰尾藤四郎」 製法書:「昇りゆくの陽の鎧」 製法書:「日輪の子の鎧」*1 | 水・土 | 火・雷 | "最後の侍"では体力が少なくなると苦しむような素振りから鬼化する。 |
登場時点では刀を装備している敵かと思いきや実は二刀使いで脇差を納刀した状態で刀のように扱っている。
その為か一刀使用時は振りの速度、気力削りが二刀と刀の中間くらいの印象でマリアのレイピアに似た印象を受けた。
人間時も鬼化時も理不尽な攻撃はなく各技の発動速度も速くはないので禍ツ武者や妖鬼(鎖鎌)の方がかなり強く感じるプレイヤーも多いかもしれない。
前半は何の変哲もない人としての攻撃手段で属性技や飛び道具もないので楽。
ただしカウンター持ちなのでガードの上から叩き続けることは止めた方がよいだろう。
連撃を叩き込む場合は虎走りなどをガード、回避して背後取ってから。
またこの時点で居合いハメや磊落ハメを使って妖怪化させずに押し切ってしまうことも可能だが面白味はないだろう。
体力が半分を切ると悶え苦しむような状態を経て鬼化すると同時に若干体力も回復する。
鬼化した後の一期一振・鯰尾藤四郎は太刀である一期一振に火属性、脇差である鯰尾藤四郎が雷属性を帯びている。
さらに怯みがとれなくなるのでたとえ背後を取っても連撃を叩き込むことは危険になる。
通常攻撃は各攻撃後に一撃多くて二撃入れるような戦い方になってしまい長期戦になりがち。
しかし、鬼化した後の秀頼には骸武者と同様、朧 弐や逆波(弐は×)が通用する。
尚、業の果てでは初めから鬼化している。
<一刀>
鬼化後は武器に炎属性が付与される。
<二刀>
難易度[仁王の道] |
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