戦国時代の武将・山伏・僧。安芸宍戸氏の一族で本名は宍戸家俊(ししどいえとし)。
愛宕信仰に傾倒していた興仙は山伏の服装で修業に明け暮れ、明応3年(1494年)、安芸から京都へ上がり鞍馬寺へ滞在。
この頃、天狗の法を行なうことができると話題になっていた興仙は権力者、細川政元(ほそかわまさもと)に近習として取り立てられ、細川政権内で絶大な権力を持つようになった。
永正4年(1507年)に政元が暗殺される(細川殿の変)と安芸国へ戻り、源義経を遠祖とした武術を由利正俊(ゆりまさとし)から学んだ。
その武術から薙刀術の「司箭流」、剣術の「貫心流」と呼ばれる武術を編み出した。
元亀元年(1570年)にこれらを天狗の法とともに河野通昭(こうのみちあき)に伝授し、京都の愛宕山へ飛び去ったという。
この時、齢百を越えてもおかしくないはずが、その肉体は若々しかったといわれる。
本来は薙刀や剣の達人であるのだろうが、本作では鎖鎌の奥義を伝授してくれるミステリアスな雰囲気を持つ人物。
これは剣豪・宮本武蔵の伝記『二天記』に登場する伊賀国の鎖鎌の使い手「宍戸某」がモデルとなった創作上の鎖鎌使い「宍戸梅軒(ばいけん)」に由来しているのだろう。
また、鎖鎌術は元々戦場に駆り出された農民が武器として鎌を使ったとされる。
ただし、武士が身につける武芸十八般にも含まれ薙刀術や杖術に併伝していることが多く武家でも広まった。
下記表のミッション名の後に(○)があるものは対戦動画が該当ミッションページに掲載されている。
種類 | 出現場所 | 固有ドロップ | 弱点 | 耐性 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
人間 | 双鎌相打つ(○) 転(まろばし)(○) | 製法書:「宍戸の鎖鎌」 | なし | なし |
鎖鎌では「足緘コンボ」が鉄板だが、興仙はガードが堅いのでコンボを狙うなら攻撃の撃ち終わり(特に上段の強攻撃)や「朱夏」の使用時を狙うと決めやすい。
※ 足緘コンボ:「蛇噛み」or「黒かずら」 → 「足緘」 → 「追い討ち」
コンボなしで戦う場合は隙が少ない下段構えがおススメ。
興仙の攻撃に対してステップインで背後を取り速い攻撃の連撃を繰り返せば楽に倒せる。
鎖鎌だと上段の強攻撃や「刃車」など強力な武技を使いたくなるが、攻撃後の隙が大きく反撃を食らいやすい。
修行系ミッションの師匠については詳細は省略。
モーションはプレイヤーと同じ。
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