井伊直政は本多忠勝と共に「徳川四天王」とも「徳川三傑」とも言われる武将で、現在の群馬県高崎市と滋賀県彦根市の基礎を築いた人物でもある。
幼名は虎松、家康の小姓時代は万千代、天正10年(1582年)、22歳で元服した時より直政と名乗る。
容姿端麗・文武両道で政治手腕にも優れていたとされ、最も徳川家康の覚えが良かった人物とされる。
元々、三河武士ではなく、遠江国井伊谷(いいのや:現在の浜名湖の北東辺り)の出身で、井伊家は今川家の家臣であった。
父・直親は主君・今川氏真から松平元康(のちの徳川家康)との内通の疑いを受け誅殺され、幼い虎松は今川氏に怯えながら各地の寺院や親戚の家を転々としながら過ごす。
元亀3年(1572年)、虎松の生母・ひよが家康の臣下である松下清景(まつしたきよかげ)と再婚し、虎松は松下家の養子となり浜松へと移住した。
この再婚は龍潭寺での父・直親の13回忌の際に、祐椿尼、直虎、ひよ、龍潭寺住職・南渓瑞聞が相談し、徳川家康に仕えさせるための方策であった。
そして天正3年(1575年)、虎松が15歳の時、家康に見出され小姓として取り立てられ、以後生涯に亘り家康に忠義を尽くし、家康の天下取りに大いに貢献した。
本作では西国の調略を服部半蔵が主となり行なっているように描かれているが、史実では直政と黒田親子が行ったとされる。
また直政は関ヶ原篇を最後として以降登場しないが、史実において関ヶ原の戦いで受けた鉄砲傷が元で慶長7年(1602年)に病死しているためである。
この件についてはサブミッション「捨てがまり」で負傷した直政と話す場面が存在する。
因みに直政の装備には「赤鬼の軽鎧」という軽装備が設定されているが、実際は重装備であったとされる。
下記表のミッション名の後に(○)があるものは対戦動画が該当ミッションページに掲載されている。
種類 | 出現場所 | 固有ドロップ | 弱点 | 耐性 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
人間 | 井伊の赤鬼(○) | 製法書:「赤鬼の三角槍」 製法書:「赤鬼の軽鎧」 | なし | なし |
まともに戦うのが面倒なら道場で仁王立ちしている直政に外から急所攻撃(ヘッドショット)でダウンさせ、背後から磊落ハメなり提馬ハメなりしてしまえば良い。
尚、道場に踏み込むと相手が反応して避けられる可能性があるので庭から狙撃すること。
まともに立ち会う場合は相手が動き回る思考に軽装という装備なので二刀や旋棍の中段を使用すると楽。
また冒頭記述の道場外からの急所攻撃でなくても絡め取りなど強制ダウン系のカウンターから磊落に繋げてしまえばあっという間に倒せてしまう。
槍は速度に優れる下段、攻撃範囲が広い中段、攻撃力が高い上段とバランスに優れた武器なので注意。
完勝狙いの場合、下段は攻撃速度が速く隙の小さな武技を使用してくるので攻め気を抑えて防御を重視するとよい。
基本的に武技を好む思考ルーチンであるため、攻撃を誘ってすぐに距離を開けると何かしらの武技をして隙をさらす。
武技について補足:プレイヤーとは異なり直政は「磊落」と「五月雨突き」の両方を競合せずに使える。
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